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不動産投資でリア充

不動産投資は都心ワンルーム一択!その理由を書きつつ、それ以外のことも書いていきます。

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ある日のできごと

銚子へ出かけてきました。
 
経営の危機にある銚子電鉄に乗りたかったのですが、時間が許さず断念。
 
しかし、マニュアル化した冷徹な若年層が跋扈する我が国の首都では垣間見ることさえ希有な光景が、そこには日常茶飯事的に広がっていました。
 
なんか、嬉しかった。
 
自動化されてない有人の改札が向かえてくれた駅には小さなこどもが集団で戯れていました。
 
それは、この国の家族形態が変えた親子同伴の付き合いではなく、こどもたちはこどもたちでまとまれるという、かつてのムラ社会でした。
 
今のこどもたちは、過保護下でわがままに、独善的に、利己的に育ちがちです。
 
バスに揺られ海を目指す道中では、停留所ではないのに、なんとこどもがタクシーをとめるが如く手を上げて、運転手はバスを停めて乗せる(しかも交差点曲がってるまさにその時に!交差点の途中ですw)という柔軟さがありました。
 
型式にカチカチと捕らわれない、人助けや協力という失われた大切なものがここには残っていました。

いやwwでもあぶねーよwww
 
と思いつつ海に着き、寄せては返す波の揺らぎを目と耳と鼻で感じながら、独特の潮風を集めて感慨深く思い耽りました。
 
心地よい。

リフレッシュするにはもってこいの久々の海でした。



 
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二次元要素を三次元に活かす

「オタク」の呼称は、その者たちがお互いに「おたく」と呼び合っていたことが起源なんだそうです。
 
「君」や「あなた」ではなく、「おたく」というのは、よくヲタがリュックにラノベやマンガをわざわざ入れて持ち歩いていることに象徴されるように、帰属するものやあるいは拠り所とするものをヤドカリがごとく背負っているためで、ヤドカリの殻(家のような感覚)も含めて呼ぶため、「おたく」という複数の意味を含んだ呼び方になるんだそうな。

オタクが出現したのが1970年代からといわれていますが、その頃は国家に帰属していることが不安になった時期で、政治への不信感や高度成長の終焉の背景があり、個々人が拠り所とするものを失い、それを補完しようとした行動様式のひとつがオタクの出現なんだとか。
 
そして、帰属する様々な世界観を求めて、いわゆる二次元の世界に傾倒していくのです。
 
時代とともに、オタクは「萌え追求」と「独自の世界観」に走るヲタへと変化していきました。思考が単純化しているのです。そして、大半が性的な対象に集約されています。
 
具体的にいうと、初期のガンダムの時代にはその世界観に関心が向けられ、その世界観にのめり込んでいきました。時代は変わり、似たような設定でガンダム同様人気を博したエヴァは、フィギュアやエロ同人誌のネタとして関心が向けられ、また本作もガンダムのような続編も含めて一貫性があるようなものではなく、断片的で視聴者が各自でオリジナルな解釈ができる構成をあえてしていました。
 
同人のネタになるように、あえて材料だけを提供したようなものです。
 
オタクが個人主義である以上、少なくとも“社会通念上”という概念が、オタクには通用しない向きがあります。コミケでは我先と目当てのブースまで周囲をないがしろにしながら突き進み、独善的な批判や批評をするが、自らの言動に責任を背負う気概など微塵も垣間見えなかったり。店で他人とすれ違う時にも気遣いが全く無く、狭い通り道のど真ん中で立ち往生して歩行者の流れを止めていることにも気付かなかったり。

最近では社会の目を気にしてか、ヲタ共に最低限のまっとうな規律を持たせようという自浄活動も目立つようになってきました。

なによりです(=^▽^=)
 
極端に視野が狭い、というより現実世界に無関心なのだ。無関心でいたいのか、無関心にならざるをえないのか。コミュニケーションも、情報交換の目的以外ではしない。継続した“仲間”を維持しようとするコミュニケーションを取ることは稀だ。
 
ただ二次元が好きなだけならいいですが、二次元にしか価値を見出だせなかったり、居場所を見出だせないあたりまでくると精神病の可能性を疑ってしまうこともあります。
 
現実社会から逃避するのは利口な選択だという自己正当化で、社会からドロップアウトしていく。悪いのは環境、生まれてきた時代が悪かった、親に恵まれなかった、等々のちょっと閉鎖的な負の思考に陥ってしまうとマズいです。
 
私自身も社会人の何年目かまでは、自分の非を認めずに他人や環境のせいにしていたために、成長を止めていた時期がありました。

そういう状態の時には周囲が言っていることは別次元(自分の思考よりも低次元)の話ととらえがちで、被害妄想的にものごとを受け止めてしまうことが多かったのです。自己肯定が強いがために、誤った判断さえも正当化してしまったりとか・・・。
 
私の場合は、それを複数の上司に徹底的に指摘され、それでも受け入れられないから荒療治も施されて、それでも直らなかった私を嘆きながらも身を呈して私をかばい、傷付き、涙してくれた人の心意気に感服して立ち直りました。今でも付き合いがありますが、弁慶のような人だしたw
 
逃げ出さなかった頑固さがあったのが、唯一の救いでした。
 
ただ、それまで無かった他人の目の意識が強くなりすぎて、自分が他人にどう思われているのだろうかということを考え過ぎるようになってしまいました。
 
私は根が善人ではないから、表面上は善人になって他人からも善人だと思われるようにはなれても、腹の内では嫉妬やひがみが芽生えてためこんでしまいます。
 
逆に、自分の思い通りに行動すると、それを他人が悪く思うのではないかと考えて頭を痛めてしまいます。
 
こういう時に、宗教入信や二次元への逃げ込みは、精神安定剤になるのでしょう。ただし、学生時代に勧誘が激しいことで有名なとある宗教の信者を徹底的に批判して逆にその宗教を辞めさせたくらいに、私は頑固でしたので、何かに逃げることは無かったです。
 
割と機械的な頭の持ち主だと自覚しています。が、そんな味気ない性格の私が、こともあろうに「営業」の仕事をしていたのです。

人間性を買ってもらう仕事に就いたのは、自分の足りないところを育てようという意図もありましたが、三つ子の魂百までで、性格は変わりません。

そこで、ヲタ的なデータベース思考で、まるでゲームをするかのように現実世界のビジネスをしていくことにしました。
 
人の心理さえも、ゲーム感覚で操作して購買意欲を掻き立てて、契約が成り立つことが、体験的にわかりました。

契約が成り立てば高額ののインセンティブを手にできる仕事でした。イケイケの人間臭い熱血営業マンとは違い、相手を分析して相手のステータス値を計って的確に段階を踏んでいくような営業でトップ成績を収めたこともありました。

これって、ちょっとグーグル的な感じだったかもしれません。人間の行動原理を無機的に分析して収益を上げる会社ですからね、グーグルって(違ってたらスミマセン><)

私の顧客は、比較的高学歴で年収が高く、各企業や団体で要職に就いている人が比較的多かったように思います。彼らは、感情では動きません。損得勘定が支配的な思考回路でものごとを判断します。欲しくないものを、値引いたり褒めたりとあの手この手で欲しい気持ちにさせる熱血営業、もとい上っ面の営業は通用しないわけです。
 
その人が欲しているものや、理想としているものに、販売している商品を関連付けることが大事でした。当たり前のことですが、その幅と奥行きは営業マンによって雲泥の差があります。
 
パズルゲームの感覚に似ているかもしれません。そこに必要なピースを的確にはめこむと点数が稼げたり有利な展開になったりする、そんなゲーム感覚。
 
RPGの要素もあります。事前にあれこれこういう展開をしておいて、その前提があって次のイベントが成り立つというような段階を踏む営業手法も有効でした。物語をツクールのです。
 
ヲタは、ただ消費するだけでなく、オリジナルのストーリーを同人誌にまとめたり、元ネタのデータを解析してMAD動画を製作したりする能力を持っています。

その能力を、内々だけで楽しむために使うだけにとどまらず、表社会で存分に活かせば優秀な社会人になるだろうし、経済の活性化の一翼を担う原動力にもなりうると個人的には思っています。

だから、自室にこもってMAD動画を作ったり、ネット社会でのみ神的なネタを投下している人は、現実世界でそれを活かす方法を本気で考えるべきだと思います。








 

年金問題から思うこと

生活におけるお金に対してさえ、無知・無駄・無能と残念ながら言わざるをえない、さながら刷り込みを思わせる貯蓄癖は、年金という大問題に直面することでもなかなか変わりません。
 
家庭の資産と負債のバランスシートさえまともに考えられないノーテンキ妻と、日々の仕事に追われ身も心も疲弊しきった夫の老後は、さらに苦しい世代の子が助けてくれるわけでもなく、年金だけで足りない生活費をまかなうために、老体にムチ打って若者に指導されながらアルバイトをせざるをえない屈辱的な生活を、人生の締め括りに送る羽目になる恐れを秘めています。
 
税対策や老後資金計画すら考えられない程に、眼前の生活費のやりくりにしか視野がもてず、気付いた頃にコツコツ返してきた家のローンが終わったその矢先に、その家を抵当に入れて生活費を借り入れて(リバースモーゲージ)老後の生活をせざるをえない世帯は意外に多いのではないでしょうか。
 
今後はさらに年金支給は先細りし、年金記録が消えただの浮いただのと騒ぎ立つこともありながら、いざもらえる額にやっと着目する機会が得られたと思えば、その額に青ざめる・・・。その反面、社会保険料はしっかりと引き上げられていきます。

年金定期便だって、一説には年間60億円ものコストがかかっているそうな。
 
あわてて公的年金以外の収入源を考え始めても、増税で投資にも貯蓄にも回せるお金が捻出できず、結局日々の生活に追われ漠然とした不安を抱えながら定年退職をむかえ、その時がきたら現実に絶望するでしょう。
 
社保庁の超不祥事すら官僚国家の洗脳から解き放たれるきっかけとしては弱く、これでもまだ国が生活を何とかしてくれると思っているようでは、この国の未来は真っ暗です。

とはいえ、おそらく国家が財政破綻をしても、年金制度はそのまま続行し、そこそこの金額はもらえることにはなると思います。

以前は「お国のために私は税金払いますよ」なんて言ってる人ほど愚鈍を極めた人は、自分が置かれている状況を冷静に把握することから始めた方がよくて、「会社で税金を払ってくれてるから」、「年末に税金が1万円も戻ってきて嬉しい」なんて言ってる人の白痴ぶりには言葉を失う程だ!とまで思っていましたが、日本人気質が根底にある限りはムラ社会の良い側面として扶助の部分は細々と残ると予想しています。
 
少なくとも、生命保険会社の個人年金保険の類と比べれば、支給期間(つまるところ総支給金額)の面では死ぬまで保証されています。
 
個人年金商品のほとんどが、5年、10年、15年の支給期間となっていますし、契約書上で額面が決まっている以上、老後にインフレ局面をむかえていようものなら絶望的です。
 
そもそも、投資に対して疎い日本人が、自助努力によって“まともな私設年金”を確保することは雲を掴むような話でさえあると思ってしまう。
 
日本が歩んできた官僚体制が、元凶であることは間違いない。そして、そこに甘えてきた日本国民の国民性も未熟でした。いや、未熟でも生きられるよう過保護だったのでしょう。
 
ビジネスの世界で「相互協力」を謳うビジネスモデルや、正論を唱えるNPO法人などが増えていますが、基本的にはこの時代に生まれてきた私たちは自身の生活基盤を確保するために、競争社会の中を生きていかなければいけない定めにあります。

儲ける人がいれば損をする人がいるのですから、損を避けて得を独り占めしようと考えていては、皆が幸せになることはできません。。

しっかりお金が回れば、幸せは代わる代わる巡り回ってきます。
 
一緒にお金を稼いだり、分け与えたり、協力したりすることはできます。

また、お互いの価値観の違いが結果的に「WIN-WIN」を生むビジネスモデルも存在します。

年金制度も世代間格差を埋めるような「LOSE」を生まない仕組みづくり、制度設計を政治家のセンセイ方には必死で作り上げてほしいものです。

できないのなら、若い世代にチャンス(席)を譲ってください。



 

経済と戦争の大局

池袋は「宮城ふるさとプラザ」の奥にある小規模のレストランの『通定食』や『芯タン定食』が好きで、よく行きます。

そこへ向かう道をそのまま進むとサンシャインがあり、そこを歩いている人の多くが向かうはサンシャインであります。
 
サンシャインがある場所には、かつて巣鴨拘置所(巣鴨刑務所=現在は府中刑務所、東京拘置所=現在は葛飾区、GHQ接収時=スガモプリズン)がありました。ここで、第二次世界大戦の結果A級戦犯として東条英機らが処刑されたのです。
 
一方、アメリカに協力的な戦犯容疑者は生かされて、戦後の日本の復旧の中で暗躍しました。それが731部隊であり、正力松太郎であり、岸信介や児玉誉士夫らでした。
 
731部隊は生物化学兵器の人体実験の資料を米軍に提供し、正力松太郎は読売新聞紙面や日テレ論調を米国追従路線で形成し、岸信介は日米安保条約に調印し、児玉誉士夫は日米安保条約を反対する左翼集団の沈静化に一躍しました。
 
六本木ヒルズや東京ミッドタウンなど、「食・住・遊」の複合施設の先駆けとして来年には開業30周年を向かえるサンシャイン。
 
その名称が関連するかのように、街中を歩いていても太陽放射を相当量浴びている感じがします。

67年前の2度の原爆投下では、多くの人が太陽光の数千倍もの放射能による癌死で鬼籍に入りました。
 
地球温暖化とともに、宇宙線を多量に浴びることになる今後は、生物全体の淘汰が行われていくでしょう。癌に強い遺伝子を持つ者と、弱い遺伝子を持つ者の淘汰が。

人間が原発を恐れるのは、おそらく遺伝子レベルでの嫌悪感があるからなのかもしれません。つまり、池田信夫氏がいくら理論で論破しても、そこに関してはいかんとも受け入れがたいものがあるのでしょう。
 
人間は、その環境や思考によって、不条理な世界を形成してきました。その多くは、排他的な思考によって、です。世界史を紐解いた時に、黒人差別やユダヤ人差別、黄色人種差別、宗教戦争・・・。日本においても、歴史上そして現在でも多々見受けられます。
 
この蔑視は、こどものいじめに見受けられるように、本能にインプットされた不可避な性質であるかのような気さえしますが、歴史年表に残されてきた数々の出来事のその裏には、経済的な恩恵を受ける者が安全地帯から見下ろしていたケースが随所に見受けられます。

9・11からイラク派兵への道筋の不条理さも巧妙な世論形成によって当初は支持されました。アメリカ民衆はおろか、敵とみなされないための“パワー”によって、各国がアメリカ支持を表明しました。わが国も、です。
 
ペリー来航より世界の覇権争いを意識し列強に挑んで破れた日本は、敗戦国の宿命を背負って今日まできました。もとをたどれば、中東~ヨーロッパの戦争の歴史が世界の常識となっていたことが元凶ですが、そこにお金の問題が絡んできて、原爆投下までの世界大戦の悪夢を見ることとなってしまいました。結果として、戦争に参加したことで、今日の経済大国への道が開けていることは、唯一の収穫ですが・・・。
 
紀元前から続いた国境をめぐる縄張り争いも、産業の発展も、自国の富のための侵略や収奪が自国民の不幸を招いては本末転倒です。人間はそんなに頭の悪いものなのかと思うと、極めて残念です。お金を儲けるというよりかは、お金のせいで戦争を余儀なくされました。その裏には、世界経済をもコントロールするほどの大富豪たちの意図的操作があり、投資した国が勝てばより儲けられるという競馬の馬にされた一面もありました。
 
ナポレオン戦争で儲けたネイサン・ロスチャイルドから始まった大富豪の経済支配の歴史は今日まで続き、昨今の世界情勢のあらゆる面でも垣間見ることができます。
 
日本もまた経済支配下に置かれ、経済支配者のさじ加減ひとつで国が揺るがされる危険をはらんでいます。安定のためには、当面アメリカ追従をしていかないといけません。また、中国への配慮も怠れません。米中の狭間で、がんじがらめになっているのが日本の現状です。

このあたりの感覚は、ネット世論のレベルではかなり軽視されていますが、意外と今後軽視してよくなるかもしれません。インターネットの台頭によって、「国境」や「国」は、物理的な境界線と税を対価とした住民サービス(治安の維持や生活基盤の提供等)の提供者でしかなくなりつつあります。

「ネット住民」というのは言い得て妙です。
 
翻って経済の話。失われた10年を経て、小泉政権下でいざなぎ景気超えを見せる日本の景気立て直しをしつつも、アメリカ追従がなければどうなっていたかわかりません。そもそも様々な利権が渦巻いていて、バブル崩壊で大打撃を受けた銀行には、再建の名の下に外資に乗っ取られ、公的資金がそのまま外資の懐に入ってしまったものもありました。

法律は外資が日本企業を買い漁れるように整備され、投資先として見られていた時期もありました。その外資とは、経済支配者たちが放った文字通り“ハゲタカ”である投資銀行であると言われています。
 
そして、大事なのは“いざなぎ超え”の裏にも、国内外で多数の死者が生じていることです。ある国が潤っている裏には、貧困の国が病死者と餓死者を増やしている事実を忘れてはなりません。ある国でニートが大量に生まれている裏では、肉体と時間を切り売りしている人がいることを頭の片隅に置いておかねばなりません。

今のところ、先進国は格差を活用した経済で持ちこたえています。
 
なんとなーく、将来はマルクスが唱えたような経済社会が訪れるかもしれませんね。

マルクス主義者じゃないですけど、否定はできませんw




 
 

今~将来の情勢にマッチした投資とは何か

今の世の中はどういう状況なのか
■低金利政策がずーっと続いてる
■世帯の構成が単身者中心になっている
■増税政策が次々実施されている(定率減税廃止、特別扶養控除廃止等)
■非正規雇用が増えている

今後の世の中がどう動いていくのか
■増税政策がさらに続く
■シングル世帯がさらに増えていく
■公的年金が機能不全(ベーシックインカム等の代替案あり)
■金融経済における景気動向や物価変動リスクが読みづらい
■財政破綻の可能性
■平均所得水準は下がっていく

ということを踏まえて、マンション経営がどうなのかっていう話を今回はします。

まず金利。
利上げすると国の財政赤字が増えるため、ゼロ金利政策は続くでしょう。

次に増税。
不動産所得の計算における経費部分にどれだけ変更がなされるのかというところがポイントですが、実はここ、最近優遇されるようになりました。

不動産の節税(になるか納税になるか)についての計算式は
■収入(家賃等)-経費(減価償却費やローン利息等)=不動産所得★
■[会社の給与等の所得+不動産所得-各種控除]×税率=税金負担額

となりますが、★をつけた不動産所得部分が「マイナス」になった場合に節税ができます。

減価償却費という、マンション経営の税金計算のうち最も大きな経費(計算上はじき出すだけのオイシイ経費です)部分が、それまでよりも大きく計上できるようになりました。

住まいを人に提供するマンション経営は、「社会的にとても意義のある事業」です。

衣食住の大事な一角を担う住居の所有者に対しては、税金面で優遇されています。

不動産に関する「払う方」の税金についての軽減措置もあります。
■登録免許税
■印紙税
■不動産取得税
■固定資産税

上記の4つの税金については、もう相当長い間軽減措置が継続しています。

役所から「優遇しますよー!」なんて声を上げて言っているわけではありませんが、影ながら応援してくれている一面が垣間見えます。

マンション経営をしていると、税金面でも何かとお得なんですね。

でも、不動産会社からマンションを買う時には消費税がかかります。消費税が上がる前に買っておくのも一手です。

次に単身者世帯の増加。

ひとり暮らしが増えてきますが、若年層が中心なのは間違いなく、そこに高齢の単身者の割合が増えてくる感じになります。

高齢者がひとり暮らしするには、
■生活をサポートしてくれる人の出入りとその安全性の確保
■通路やエレベータのバリアフリー化
■各戸の安否確認システムの導入
■緊急時に対応できる管理体制の強化

など、将来の見通しのある管理会社が管理している、または最初から高齢者が住む想定で建てられているマンションが長期の投資向きです。

2010年代に入ってからは、ワンルームマンションの各戸の専有面積が広めになってきています。エレベータに手すりや車いす使用者用のボタンが付いたりしているマンションも増えてきています。

2000年代は20㎡を少し超えるくらい、90年代は10㎡台が大半でした。昔は本当に「投資」として、住む人が不便でも「家賃さえ取れれば良い」という造りだったんですね。

今でも10㎡台でバス・トイレが一緒のマンションでも需要はあります。

ただし、30年後はわかりません。

先を見越して、将来の需要を想定した投資を考えるのであれば、多少金額が高くても最新仕様のマンションを持ったほうが良いのではないかと思いますね。

次に景気動向について。

結論から言うと、マンション経営の
■現金収益を生む
■それ自体はモノとしての価値を持つ

という二面性が、景気動向や物価変動リスクを回避します。
回避は言いすぎかもしれませんが、少なくとも軽減します。
これについては別の機会に図を用いて記事にしましょう。

最後に、所得水準が下がって非正規雇用が増えること。

つまり、借りるしか選択支が無い人だらけなんです。
ということは、安心して大家さんの立場でいられるということです。
家賃がこの先というか既に危うい公的年金になりますが、その収入源としての確実性が増します。

マイホームを買うかどうかはまったく別次元の話ですが、人に貸すために買うマンションはおおいにアリな話ではないでしょうか。

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管理人のプロフィール

HN:
まこち
職業:
ネット遊牧民
趣味:
寝ること
自己紹介:
マニフレックス社の高反発マットレス「モデルEXⅡ」、「ピローグランデ」の組み合わせは神。パイル地が好きなので肌が当たる面にはタオルケットやタオルを当てて寝てます。寝具にはこだわるといいお(:3[__]


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