ニコ動について思うことがけっこうたまってるので、一度ここでまとめたいと思います。
■サイトの設計について
かわんごがどこかで「ネットサービスというものは飽きられないように機能を増やしてバージョンアップを図っても、一定のところで詰むことになるから、ニコファーレや大会議、超会議といったイベントでごまかしてる」みたいな主旨のことを言ってたけど、これについて思うことが2つあります。
ひとつは、ユーザー視点から見たら超会議やニコファーレが赤字だとしても、プレ垢代をおもしろいことに使って還元してくれるのは喜ばしいことだし、株主から見ても広告宣伝費としては4~5億円の赤字なんて許容範囲だろう、ということです。協賛企業をジャンジャン誘致して赤字をもっと抑えられたら尚良しというところでしょう。
ただし、双方向のライブ会場っていうのは、パフォーマー側の目に留まる所にモニタがあればそれでおkな気がしないでもなかったりで、360度LEDにコメを流さなくても良かったかなと。バブル時代の派手さやカネを使えるTV業界や映画業界への嫉妬の反発に見えなくもなかったり・・・。
ということで、ニコファーレも話題を提供しただけってことで、アレけっこうお金かかってそうだから、最終的に回収できないんじゃないかって思ったり思わなかったり・・・w
もうひとつは、後で書くユーザー(コンテンツの作り手であるクリエイターや二次創作の作り手と、そのコンテンツを欲している人たち)のモチベーション維持のために、
『ニコニコ動画(古参、懐古厨)』
『ニコニコ動画(プロ、セミプロ)』
に分けたらどうかと思ってます。
なぜなら、今まのままでは確実にユーザーが離れる、もしくは幽霊会員ばかりになってしまうだろうし、そうなると中身の無い動画サービスになってしまうから。
その打開策として、棲み分けは絶対に必要な段階にきていると思うのです。
昔のくだらないネタ動画や、内輪で笑える動画が前者に、実際にプロとして活動している人の作品や、プロを目指していて色々な意見や指摘を必要としている人が後者にそれぞれ投稿する、と。
後者にはルーキーランキングなんかも導入してもいいかもしれません。一時期ひろゆきがMCでやっていた歌い手のオーディション(今もやってんのか知らないけどw)なんかも後者のカテゴリに入れて続けていけば良いと思う。
棲み分けにすることで、動画を荒らす人が減るのかなと。
基本的に荒らしはなくならないわけで、運営側はすでに誹謗中傷にあたるようなNGコメについて、コメした本人の画面では流れてても他の人の画面では消えてるという画期的な表示設定によって、できることはし尽くしているくらいです。
ニコ生で暗黒放送が人気あるのは、荒らし気質のある人達が思いっきりストレスを発散できる場として緑が容認してるからだと思ってたりしますし、基本的に荒らし自体がニコ動やニコ生からいなくなることは考えにくいのです。
でも運営が取った行動は、棲み分けではなく、クリエイター奨励プログラムでした。なんでクリエイター奨励プログラムを導入したかというと、運営がカネで解決しようとしたからです。クリエイターが報われればそのファンも暴走しなくなるだろう、ということです。
つまり、クリエイターやそのファンが「カネのことで嫉妬している」という判断をしてしまった。この考え方って、かわんごが嫌悪しているグーグルっぽくなっちゃってますよね。それとも、カネが生身の人間の感情の問題を解決するっていう考えなのかな?
コンテンツ代をタダにして広告モデルで稼ぐ、というグーグルらがネットの世界に敷いてしまった常識を覆し、コンテンツに対して対価を払うべきだというスタンスでいるかわんごが、ニコ動の生命線であるクリエイターに対して同じような視点で見てしまってはいけません。
とにかく、今のニコ動に流れている負の空気は、自然浄化を待つのではなく何らかのアクションを起こさないといけないと思っています。
■ニコニコ動画の企業努力
ニコ動の黎明期にはテレビ番組等を素材にしたMAD動画が大流行していました。
一時期は、ニコ動=MAD動画のサイトと言っても過言ではなく、歌ってみたや声まねの初期はアーティストやアニメの動画にアテレコしたものが多くありました。
(初期の頃は字幕や吹き替えで遊ぶようなサイトだと錯覚してましたw)
でも、2ちゃんねるのひろゆきが訴えられまくっているように、プラットフォーム上に違法なものがあるとその管理者に責任を求める向きが日本にはなぜかります。
そこで、おもしろいけどやむを得ず、ニコ動は自ら膨大な量のMAD動画を削除しました。
(MADじゃなくまんまうpされたミュージッククリップなどもたくさんありました)
もしかしたらニコ動は、この段階で一部のコアユーザーのみ残して廃れてしまっていたかもしれません。
個人的には、テレビ番組でもモノマネ大賞が目玉番組として人気があったり、パクりの総本山とも言えるめちゃイケが若年層に圧倒的に人気があったりしたわけですから、ネットだけが迫害される理不尽さは感じざるをえないわけです。
それはさておき、この危機的状況に陥ったタイミングで、もともと人気を博していた「東方」、「アイマス」と並んで御三家と位置付けられるようになる「初音ミク(ボカロ)」が登場し、ミクを使った作品がニコ動に投稿されるようになりました。
個人的にはここがニコニコ動画の3.0にあたると思っています。1.0はYouTubeにコメをのせてた時、2.0は独立した動画投稿サイトとなった時で、2.0時代までは二次創作中心、3.0からはオリジナルが加わったという感じです。
ミクのオリジナル作品からも派生作品や二次創作が生まれました。原作者(P)と使用者(歌ってみたや踊ってみた等)がシナジー効果を出している関係もあれば、Pと歌い手がいがみあってたりするケースもあったりと、問題を抱えながらも多くの動画が投稿され、ニコ動は盛況を取り戻しました。
その後、角川やavex、JASRACと包括提携し、かわんご自らジブリにもぐり込むという行動が、コンテンツ産業と著作権問題の解決こそがニコ動が生き残るための生命線だという姿勢がハッキリとわかります。
これは、一ユーザーとして高く評価したいし、感謝したいことです。
プレ垢課金システムに成功したドワンゴだからこそ、定額で音楽聴き放題みたいなこともいつかはできると淡い期待をしたりしています。
■ニコ動特有のクリエイターやパフォーマー
ニコ動の歌ってみた、踊ってみた、そしてPの人たちは、ある意味1からファンを獲得できているわけで、メディアによるマスの宣伝で人気を博した有名なアーティストたちとは違った強みを持っていることは間違いありません。
つまり、エ●ザイルやジャ●ーズと違い、プロデューサーが付かずにセルフプロデュースができるクリエイターが多いということです。
まったく無名のところから、うpした動画を沢山の人に見てもらうために、大規模なオフ動画を上げたり、コラボ動画を上げたり、ニコ生でリスナーと交流したり、イベントに参加して知名度を上げたり、もちろん歌や踊りを頑張って上手くなったりと、素人なりに色々と努力してるんですよね。
コンテンツでメシを食うとまではいかなくても、作品を多くの人達に知らしめるためには、有名になることが必須条件になってしまっていたりします。そして、有名になればアンチも増えるわけで、さまざまな嫉妬とも付き合っていかなければいけません。
マスメディアで活躍しているプロのアーティストにプロデューサーが付いているのは、有名にさせる機能と、アーティストの力を最大限引き出す効果と、アンチを抑える効果のすべてを担っているわけです。
日本を代表するクリエイター集団であるスタジオジブリですらプロデューサーはいるし、音楽が一番売れていた90年代の人気アーティストは小室プロデュース、MAX松浦プロデュース、佐久間正英プロデュース、つんくプロデュース、ジャニさんプロデュース・・・と、セルフブランディングして売れてたアーティストってLUNA SEAとかマリスミゼルみたいなインディーズ出身のバンドくらいじゃないでしょうか?
その中でも浜崎あゆみはセルフブランディングしてるってことを前面に出して人気が出たわけで、朝倉大介の手元を離れたTMRとかガクトが今なお個性と固定ファンを持って活躍しているのは真の意味でセルフブランディングができていたからということでしょう。
余談ですが、あゆの人気が落ちたのは固定ファンの獲得に失敗したからであって、商業的にマスを狙って宣伝を垂れ流しにわかファンばかりを獲得した結果、ファッションをまねた劣化コピーのファンたちが増えすぎて世間的に飽きられた挙句、そのミーハーなファンたちが別の何かに流れてしまったせいだと思ってます。セルフプロデュースの力があれば今復活できると思うんですけどね・・・。
とにかく、ニコ動にはセルフブランディング頼りで数千~数万規模のファンを持っている“アーティスト”が存在しているということです。
■YouTubeに切断されたことへの反骨心を忘れないでほしい
ニコ動は、もともとYouTubeに上がっている動画にコメントを載せられるサービスでした。
海外の映画に字幕を付けたり、あるいはウソの字幕を付けておもしろがったり、ウソの提供を載せたり、弾幕で画面を見えなくしておもしろがったり・・・。
ところが、ニコ動がYouTube側から切断されてしまいました。
その「おもしろいサービス」がつぶされたことに対して、ニコ動の運営に優秀な人材が集まり奮起して、独自の動画投稿サイトを立ち上げてしまいました。
この根性というかパワーをずっと持ち続けていれば、ニコ動は4.0、5.0と変身しながら生き続けるのではないかと思っています。
■二次創作文化と日本人気質の活かし方と著作権
そもそも日本の文化や技術そのものが二次創作的なものばかりであることから、二次創作に関してはある程度許容すべきだというのが個人的な見解です。
小型化やパロディといった「加工」や「リスペクト」という名の二次創作こそが日本のお家芸です。
その前提で考えると、ニコ動に対して削除要請をした権利者たちにはちょっと憤りを感じています。
もちろん、オリジナルのイメージを著しく貶めるようなものは削除対象にしてもいいですが、原作を使用したものは根こそぎっていうのはちょっとやりすぎかなと。
音楽の世界でも、日本で最も売れていると言われる部類の某アーティストなんか海外の楽曲をパクリまくってるわけだしw
そもそも文化はコアユーザーを残して衰退していきます。
大阪市で文楽に税金を投入するべきでないと橋下市長が叫んでますけど、たしかにそれは正論で自然現象として衰退しコアユーザーさえいなくなれば消えてなくなるのが文化です。
後世に文献から復興を目指す人が現れるかもしれません。
そうやって歴史は推移していくわけで、おそらくニコ動はコアユーザーだけ残って、ミーハーなユーザーは今後出てくるサービスに消費の対象を変えていくでしょう。
今までの文化は、ハイコンテクストになりすぎて衰退していくものが多かったのですが、ニコ動には動画が残り続けるので、誰かがまた掘り返してさらなる二次創作を生み出す可能性だってあるわけです。
著作権問題には積極的に会長自ら行動でニコ動ユーザーに示してくれているので、著作権法そのものの価値観を一新するまで頑張ってほしいと思います。
また、ニコ動のインタラクティブな技術の二次的な使い方として、遠隔地を結ぶダンスレッスンや職人芸の修行における師匠と弟子の結びつけ等、コメントで指導したりするような使い方ができたりします。
教わる側が1人、講師が複数ということもできたりするわけで、一人のアーティストの種を複数のプロデューサーによって育て上げるといったことも可能になるでしょう。
■コンテンツの消費場としては衰退するかもしれないが、コミュニティの場としては生き残る
もともとドワンゴが提供していた着メロサービス(音楽を介して話題が生まれる)もそうだけど、「コミュニケーション」のきっかけを提供するサービスとしてのニコ動やニコ生は残り続けると思っています。
そして、コニュニケーションを生んでいくサービスとしては、フェイスブックのように「数値化されたコミュニケーション」ではなく「生身の人間としてのコミュニケーション」を生んでいくスタンスであると、かわんごもニワンゴの社長も色んな場所で発言しています。
単純にクリエイターの作品の発表場所だというわけではないし、商業的価値だけしかない場所でもありません。
もともとが「街角にあるテレビ屋さんの前に集まる人達」「お茶の間でみんなでテレビを囲って見る状況」というものを再現したニコ動ですから、動画を介して、生放送を介して、様々な人間関係が築かれてきたでしょうし、これからも築かれていくでしょう。
また、コンテンツを介してコミュニケーションの場を提供するサイトですので、必ずしもコンテンツの目新しさや質を求める必要は無いのです。
コミュニケーションの媒体としての価値は相当高いでしょうし、廃れさせるわけにはいきません。
たとえサイト維持のためにプレ垢代が1,000円になったとしても。
という綺麗な結びでおわります。
(敬称略)