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不動産投資でリア充

不動産投資は都心ワンルーム一択!その理由を書きつつ、それ以外のことも書いていきます。

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企業に勤めるということ

年功序列で終身雇用が当たり前だった頃は、個々人の能力や仕事の評価は「会社」に属するものでした。

今でこそ「社畜」と揶揄されますが、管理下にある不自由さと引き換えに、守られているものがあまりにもたくさんありました。 それは、今でも変わりません。

労働基準法は労働者の立場に立って制定された法律なので、いざ法廷に話の場が移るとおおむね労働者側に有利な判決が下されるのが現状です。

個をあらわにせず、主張を控え、黙々と日々の業務を遂行することが評価されます。歴史ある会社の多くが、無難に「社蓄」をまっとうしてきた人材を経営の後継者に選んでいることからも、その日本企業的な文化や価値観がよくわかります。

「社蓄」が週末には「社長」になるような例や、会社を辞めてネットで商売をしたり、不動産投資や権利収入で不労所得で暮らしている人の割合が今後どんどん増えていくのではないかと思っています。

良くも悪くも「ノマド」という言葉・スタイルが注目され、けなす人も憧れる人も多いことから、少なからず会社という枠に縛られたくないという感情のパワーが、目に見えない大局を形成しているようにも感じます。

そこには、ソーシャルメディアの普及が個々の商売における宣伝やブランディングに大きく貢献していることは言うまでもありません。

ただし、フリーランスになっても「自由」になれるかと言えば微妙なところで、結局ビジネスを行う上でのブランディング、つまり「受け入れられる姿」を作り上げなければいけません。

余程なんらかの能力に長けていれば、ガンコオヤジのラーメン屋の原理で人間的に難があっても美味ければ客が足を運ぶのですが、魅力的な個性や能力が無い場合はブランディングありきなので、結局は色々自制しなければなるでしょう。 会社に拘束されたくないとフリーになったのに、なんか本末転倒ですよね。

また、会社の中では通じていた能力が、社外に出たらまったく通用しないケースもあるので、多くの場合が同じ慣習を持った取引先とのつながりを維持したままで独立するのでしょうが、「就職」ではなく「就社」になってしまっている諸々の問題を突破する過渡期に今あるのではないでしょうか。 産業構造が大きく変化してしまい、今後は日本の産業の根幹とも言えた製造業もゾンビ化してしまう時代がくるのではないかと心配しています。

ビジネスは格差の中で生まれるものが多々あるので、一億総社長化なんてことは起こらないにしても、BtoBという名の事実上フラットなCtoCの経済活動が増えていくであろう中では、いずれにせよ後進国との格差を考慮した海外ビジネスを視野に入れなければ一億総生活保護予備軍のような危機的状況に陥る懸念もちょっとあったりします。

これは、日本人の閉鎖的な気質がけっこうネックになるんじゃないかと危惧してます。

国内で伸びるであろうコンテンツ産業も、そのコンテンツを消費するためのお金がなければ見向きもされなくなってしまいますからね。 最終的に立ち戻るところは、「衣・食・住」であり、これはいつの時代も必要とされるものです。

そういう意味では、その中の「住」を提供する側に立てる不動産投資は、波はあるにせよいつの時代でも重宝される投資行為だと思っています。 余談ですが、不動産投資を始めようと思ったら勤め先に雇われている間に始めてください。

会社を辞めた後だと、不動産投資のためのローンはおろか、クレジットカードですら作りづらくなりますので。






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「これからの『正義』の話をしよう」

今さら・・・!?w

ではなくて、文庫版が出てたのでアマゾンでポチっとしたのが一昨日の話。

一昨年は立ち読みで済ませてしまったんですね。
1,500円くらいだったら買ったんですけど、サーセンwwww

んで、マックでキンキンに冷えたコーヒーを飲みながらパラパラっと再読。

もはや本書についての説明は不要だと思いますけど、

■幸福最大化(功利主義)
■自由の尊重(自由至上主義)
■美徳の涵養

の理念を中心に「正義」に関する問題を展開している「政治哲学」の本です。

「幸福の最大化」というのは、「効率の最大化」を前提にあらゆる決定をしようというもので、「個人の権利」は必ずしも優先されるわけではありません。言い換えると、100人が犠牲になるならば、1人の犠牲はやむをえない、もっと言ってしまえば1人を犠牲にして100人を救った方が「正義」だ、という考え方、思想です。

これを「功利主義」といいます。

第二次世界大戦では、地上戦に突入する前に原爆が投下され終戦交渉が始まりましたが、地上戦に突入していたらもっと犠牲者がたくさん出ていた(アメリカ人、日本人、さらに世界戦争の被害者全体として)であろうという観点から「原爆投下は正しい」とする考え方も、ある意味功利主義です。

義務教育では「原爆投下は悪そのものでアメリカは許さない」と教わりましたが(教諭によるバイアスもかかっていたと思いますが・・・)、もし当時の日本が戦争の終わらせ方を知らなかったのだとすると、それは肯定されるべき選択だったかもしれません。

要するに数の論理なのですが、倫理的な問題をかなり含んでいます。

例えば、学級で1人がいじめにあっていたとして、その子だけがいじめにあっているおかげで他の人が安心して学校生活を送れる、というのは、他の思想を持つ人たちにとっては倫理的にかなり問題なわけです。

何に正当性を置くか、ってことですね。

功利主義っていう言葉がなかなか飲み込めない人は、「合理的主義」みたいに思っとけばだいたい合ってますw
(「合理主義」っていう概念は別の意味で存在してますので、あくまで覚えるためにね!)

次に、「自由の尊重」についてです。

「個人の自由」を尊重する考え方で、「リバタリアニズム」や「自由至上主義」と呼ばれます。

人間の自由を第一とし、制約のない市場を支持して規制はするべきでない、という考え方、思想です。

経済や政治だけでなく、過保護(=自由を奪うこと)をよしとせず、同意の上での売春や同性愛を肯定し、税による所得の再配分を否定しています。

これは根底に「自己所有権」という概念があり、「個人の権利」が最大限尊重されます。

ちなみによく誤解されるというか難解に思われがちなのが

■「リベラリズム(リベラル)」と「リバタリアニズム(リバタリアン)」の違い

です。

響きが似てて、とてもわかりにくいですw

「リベラリズム」は経済においては共産主義や社会主義といったいわゆる左翼的な思想であり、福祉や税による再配分に重きを置いた経済的平等を目指す思想です。「個人の自由」や「政治的な自由度」を重んじる反面、「経済活動の自由」に異を唱える思想です。

誰かたくさんお金を稼ぐ人がいたら、「その稼いだお金は連綿と構築されてきた社会基盤がベースにあるおかげで稼げたお金だから、個人が稼いだお金は社会(全体)に還元してしかるべきだ!」というのがリベラリズムであり、それを唱えるのがリベラルです。

また、経済的にリベラリズムと思想が一致しつつも、政治的な面で「個ではなくコミュニティ」にベースをおくのが「コミュニタリアニズム」です。

日本に戦争責任をいまだに要求しているアカい国や、それに応じる思想もこれと一緒で、戦争の当事者を対象にしているのではなく、日本国という社会やコミュニティに対して要求をしているのです。

一方の「リバタリアニズム」(=自由至上主義)は、強制力を持つ税は私有財産権の侵害であると考え(困っている人や弱者は、助けたい人がその自発的な意思で助ければ良いという考え)、税金で福祉を行うべきではないという立場です。そういうのは寄付でいいじゃん、という考え方ですね。

つまり、小さな政府を目指す考え方で、経済政策においては自由な市場の方が政府が管理する経済よりも効率的であると判断します。

個人の自由においても、「他人の迷惑にならない範囲内で好き勝手に生きてもいいじゃん!だから干渉するな!」という解釈でおkです。そこには「自己責任」ということもセットでついてきます。だから本人の意思を無視して課される税金はけしからん!」となるわけです。

先ほどリベラリズムで触れた戦争責任についても、リバタリアニズムにおいては戦争の当事者が責任を負えばそれでいいという発想になるわけで、コミュニティを対象にするのか個人を対象にするのかというベースについては、リバラリアニズムとリベラリズムは一致します。

「個人の自由」や「政治的自由」と「経済活動の自由」をともに重んじるのがリバタリアニズムであり、この思想の持ち主を「リバタリアン」といいます。

また、「保守・右翼」と「リバタリアニズム」は、「経済の自由」を重んじる点では一致していますが、「個人の自由」や「政治的な自由」においては対立しています。

まとめると、こんな感じです。



本書では、様々な功利主義やリバタリア二ズム、リベラリズムの例を出しながらそれらを批判しています。もともとサンデルはリベラリズムを唱えたロールズを批判して有名になった政治哲学者ですしおすし。

そんで、つまるところサンデルの立場は「コミュニタリアニズム」(=共同体主義)ということのようです。人は何らかのコミュニティに属し、コミュニティと個人は切っても切り離せないものであると言っています。

この手の哲学の話は、性善説とか性悪説っていう話にも及んでとりとめなくなりそうな感じなので、ここで終わりますw

サンデルの主義主張はどうあれ(ハッキリとこれこそ絶対だ!っていう感じはなく、本人も歴然たる確証を得ていない印象がありました)、上記の図にあるさまざまな考え方をおおざっぱに理解するにはなかなか良い教科書だと思います。

ハーバード大学で最大の履修者を誇るほど人気のある政治哲学の講義というのは、コミュニタリアンである彼の思想に共感しているからではなく、単純に講義がわかりやすくおもしろいからではないでしょうか?

というか、アメリカ人って「正義」の話が単純に好きなだけかもしれませんがwww

本書はなかなかに読みやすかったです。
(この際、これを立ち読みで済ませた理由にしてしまおうw)

この本で触れている設問を自分で解いてみると、自分が何主義なのかがわかったりもしますよ(。・∀・)ノ




ニートになりたいと思って社会に出ました

なんで不動産投資に興味を持ったかというと、学生時分に就活してる中で「マンション経営」なるものを知ったことがきっかけでした。

不動産の営業って、給料良いんですよね。

1戸売るだけで多いと100万円以上のインセンティブをもらえたりします。

節税ができる仕組みを知っておくことで、能動的にお金とつきあっていける面も大きいです。



その最終的なゴールは「ニート」です。

お金と時間はあればあるほど良いんですよ、余暇を埋めることが今の時代に生まれた意味だとさえ思ってますから。





歯医者の話

コンビニの数ほど増えた歯医者は弱肉強食の最たるもので、焼肉定食すら食えない敗者が多数存在しています。

ちょっと言いすぎました、すみませんw

でも、歯科業界って(業界っていうのかな?)、行政が“営業”の手伝いをするくらい苦しいのは事実でしょう。

私が住んでいるのは新宿区ですが、先日、都から歯科検診の通知がきました。

歯科医院によっては個別に「定期検診」という名の営業ハガキが届きます。以前埼玉の大宮に住んでいた時もきてました。

行くと、虫歯があれば治療しますが、無くても歯の洗浄だの「歯石が“たまりそう”ですので・・・」となかば言われるがままに歯科衛生士に歯を掃除され、「こことここが磨き足りないですよ~」という報告書のようなものを(勝手に)作成してくれて、そこそこのお金を請求されたりします。

はい、体験談です。

しかも、何度もあった体験談です。

また、実際に歯の治療に行くと、ひどいところだとわざと時間をかけて治療を分けている(トータルで稼いでる?)ような疑いを持たざるをえないようなこともありました。(1本の虫歯の治療に2ヶ月かけて、毎週平均3,000円くらい払って、結局終わった後もイワカンが残る状態で、担当医も私の治療が終わったタイミングで退職しました)

詰め物も1ヵ月くらいですぐ取れてしまうので別の歯科に行ってみました。

すると、同じ治療をものの数分で終わらせ、結局取れやすい箇所なんですけど、そのインフォームドコンセントがちゃんとあった上で3倍長く持ちました。

一体この差はなんなんでしょうか・・・w

歯科医師業界ってけっこうきな臭い業界なのかもしれません。自営業で医院長のパーソナリティが反映されていて、企業のように多くの目の監視が無いですから。

良い歯医者との出会いって、生きていく上でけっこう大事なんだと勉強になりました。

コンビニの数以上に増えて競争の中で自浄していけばいいのでしょうが、行政がそれを日本的な救い方をしてしまうと良くならないですよね~。



 

ダウンロード違法化について

ダウンロード違法化って、音楽業界を守るための措置なんだろうけど、音楽をCDで聴くっていう行為自体がもはやオワコンというかダサいというか、保管場所が邪魔というか、個人的にはそういう感覚でCDを買わないんですね。

私が初めてCDを買ったのは、カラオケで歌えるように繰り返し聴くためであって、音楽が好きというよりもむしろトレンドに付いていくために「1,000円もするのか高いな~><」って気持ちで買っていました。

それが90年代。

なんか、そういう流行に乗り遅れたらマズイっていう空気があったからCDを買っていたわけです。とりあえずカラオケ行ったらランキング10位までの曲を歌えないとサムイって感じでw

中学にもなって音楽に興味を持っていないなんて人間関係に支障があるとか、もっと言えばいじめられないためというか、そういう部分の危機感が根底にあって、小室プロデュースの曲やGLAY、ミスチル、B'z、スピッツあたりは中学の月3,000円のお小遣いの中から頑張って買ってたわけです。

それがだんだんMDやLISMOやiPodで聴けるようになって、ポータブルCDプレイヤーを使っていること自体がダサくなってくるんですね。

既製品ではなく、自分が好きな曲を好きな順番で聴いたり、色んなアーティストと曲をシャッフルして聴いたりする多様性が生まれてきたわけです。もちろん作り手は曲の順番やCDパッケージも含めて「作品」を世に送り出しているわけですが、だんだんそのアーティストのことを本当に好きな人にしか買われなくなっていったのです。

つまり、今は音楽業界が低迷しているといいますが、これが本来の姿なんでしょう。

今時のCDって、投票券が入ってますとか、初回限定特典付きとか、CDとDVDがセットになってたりとかあの手この手で売られてます。これ、けっこうファンの財布を痛めてると思うんですね。

ファンというか、もはや信者と呼んだほうがしっくりきますけど、「私が全種類買って(ある意味コンプ願望もありつつ)、布教用(友人に勧めるため)も買って、観賞用も買うんだ!そうやって大好きなアーティストを支えるんだ!」っていう、熱狂的なファンが今の音楽業界を支えてる部分がけっこうあると思うんです。AKBのCDを大金はたいて何百枚も買っちゃうような・・・

これはホストやホステスへの貢ぎ、教祖様へのお布施、そんな感覚に近いと思います。依存させてなんぼの世界なので、本人もそれでお金を使って気持ちいいんでしょうけど、周囲から見たら「コイツ、まじヤバイww」って思っちゃうわけなんですねw

で、著作権の問題ですが。

個人的に音楽は主にボカロ曲とか歌ってみたをニコ動で視聴することが多いのですが、ニコ動はジャスラックと包括提携してて著作権は気にせずに視聴できたわけです。

で、動画サイトからファイルをダウンロードすること自体は既に違法、他人の著作物を勝手にアップロードするのは既に違法っていう現状に、さらに「動画サイトを視聴する=違法」っていうのが加わるって解釈になるっぽいんですね。

ジャスラックの見解ではそれは大丈夫だというんですけど、そもそも「ダウンロード」が何たるものかって、けっこう曖昧な解釈ができるわけです。考え方によっては、インターネットそのものが実質できなくなるという解釈までできます。

なのに、やけに大雑把に法案通しちゃったなっていう、国会の立法機関としての資質を糾弾した方がいいレベルじゃまいか?っていうのが率直な感想です。

CDを買わなくなったのって、90年代に若者だった世代が「もう音楽って歳でもないし」って感じで、昔買ったCDをいまだに聴いてるからだと思うんですね。つまり、最近のアーティストに興味がないってこと。やたらカバー曲が多いのもきっとそういう理由だと思います。

結局はオッサンやオバサンが現役で活動中のアーティストの新譜に興味がなく、中高生や20代はボカロ曲の方に魅力を感じているってことでFAなんだと思います。

テレビ見てても、昔音楽を聴いてた頃に流行ってた曲にしか反応しないって人、多くないですか?

つべやニコ動でプロモーションしてるアーティストを除いては、例えばジャニーズの曲なんかは動画サイトではまず削除されていますし、iTunes Storeでもほしい曲が売ってなかったりします。

先日も、キンキキッズの「スワンソング」という曲がほしくてiTunes Storeで探してもなかったので、アマゾンでCDを買いましたが、こうやって音楽が欲しいっていう気持ちがわいたこと自体が10年ぶりとか、そんな感じです。

普段はめんどくさいからもういいや!で終わってますから。

総括して、今回の法案が施行される意味ってまったく無いんじゃね?っていうのが私の見解です。

というか、大方の見解でしょう。

国会議員はどこを向いて仕事してるんでしょうか。




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まこち
職業:
ネット遊牧民
趣味:
寝ること
自己紹介:
マニフレックス社の高反発マットレス「モデルEXⅡ」、「ピローグランデ」の組み合わせは神。パイル地が好きなので肌が当たる面にはタオルケットやタオルを当てて寝てます。寝具にはこだわるといいお(:3[__]


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